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「 出会いと思想、民藝運動のはじまり—バーナード・リーチと柳宗悦の“ものづくり” 」

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こんにちは💕
器だ第好きな、器バイヤーのナラです。

今日はナラの大好きな器スリップウェア(slipware)にとってとても重要なバーナード・リーチ
彼にかかわる重要な人物で、日本の【用の美】を広げた柳宗悦に関してお話します。

そもそもナラが好きななったスリップウェアはこのストーリーとセットなんです。

二人の出会い・考え方・民藝(みんげい)運動の背景を中心に、
難しい話も“できるだけ”わかりやす~くお話しますね👇

100年前の「美しい暮らし」を考えたふたり

今でこそ「暮らしを丁寧に」とか「手仕事の器が好き」なんて言葉を雑誌の特集や
YouTubeなどでよく聞くけど、
実はその“原点”を作った人たちがいるんです。

それが、イギリス人陶芸家のバーナード・リーチと、日本の思想家・美学者の柳宗悦(やなぎむねよし)

このふたりが出会わなければ、日本の「民藝運動」は生まれてなかったし、
私たちが“手仕事の温かさ”に価値を感じる文化も、ここまで根付かなかったかもしれないと思う。

彼らが生きていて、意見を交わしあい、様々な人物と熱い交流しあったのは今から100年ほど前。
大量生産の波が押し寄せ、世の中がどんどん効率重視に変わっていった時代だったんです。

そんな中で、ふたりはこう思った。

「本当に大切なのは、“人の手でつくられたもの”の中に宿る美しさじゃないか?」

この想いが、のちに日本中に広がる“民藝”の火を灯すことになるんですよ。
ムネアツじゃないですか~(*´▽`*)

 

バーナード・リーチとは?— 陶芸に人生をかけたイギリス人

バーナード・リーチ
リーチは1887年に香港で生まれたイギリス人。

イギリス、日本、中国など、アジアとヨーロッパを行き来する国際的な感性を持っていたんだ。
もともとは版画家を目指していたけど、ある日、東京で「楽焼(らくやき)」を体験したことがきっかけで
陶芸にのめり込む。

彼にとって陶芸は、単なる“器作り”じゃなくて、生き方そのもの
「使う人の生活を豊かにしたい」という想いを込めて、丁寧に器を作っていたの。

リーチの作品は、日本のわび・さびに通じるような落ち着いた美しさがあるということでした。
派手ではないけど、手に持った瞬間に“心が落ち着く”ような感覚。
それは、器に華美を目指したわけしゃなく、彼が「器は日常の中で使われてこそ完成するもの」と考えていたからなんです。

柳宗悦とは?— 美学者であり、哲学者であり、暮らしの探究者

柳宗悦(1889〜1961)
東京帝国大学(今の東大)で哲学を学んだ、れっきとした知識人。

でも彼の関心は、“論理”よりも“美”にありました。
彼の感じる美は美術館に飾られるような絵画ではなく、日々の生活に使われる器や布、道具の美しさ
だったんです。

彼はこう言っています。

「美は特別なものではなく、日常の中にこそ宿る。」

この言葉、まさに“民藝”の核心。

柳は庶民の手で作られた、名前も知られない職人たちの作品に深い感動を覚えたんです。
そして、「彼らこそ、本当の芸術家ではないか」と考えました。

ふたりの出会い 異国で生まれた“魂の共鳴”

リーチと柳が出会ったのは、1910年代の東京。
当時リーチは日本に陶芸を学びに来ていて、東京美術学校(今の東京藝術大学)などでも
教えていました。

ふたりが初めて会ったときのことは詳しくは伝わっていないけれど、
出会った瞬間に“価値観が通じ合った”と言われています。

柳はリーチの中に「西洋の合理性と東洋の精神性が融合したような存在」を感じ、
リーチは柳の「美に対する真剣なまなざし」に心を動かされたんじゃないかなと思います。

事実、すぐに二人は親友のような関係になり、芸術や宗教、人生について語り合うようになりました。
まるで現代の“推し活仲間”みたいじゃないですか?

「用の美」— 柳宗悦が見つけた“暮らしの中の美”

柳宗悦が提唱した用の美(ようのび)という言葉、聞いたことありますか?
これは、使うために作られたものの中にこそ本当の美があるという考え方。

たとえば、昔の農家で使われていた竹かごくわや、無名の職人が作った陶器。
それらは「誰かに見せるため」じゃなく、「生活の中で使うため」に作られたもの。


でも、そこには使いやすいように無駄を極限に削り取り、シンプルな造形が出来上がるんですが
そんな道具には自然と“美”が宿っているんですよね。

柳はこう語っています。

「用に従うことで、美は自ずから生まれる。」

つまり、“役に立つこと”と“美しいこと”は、両立するんです。
この考え方が、今の「暮らしの美学」「ていねいな生活」のルーツになってるんです。

民藝運動のはじまり:美の民主化

リーチと柳の出会いをきっかけに、日本では民藝運動(民衆的工芸運動)が始まるります。
この運動の目的は、「名もなき職人が作る日用品の中にこそ、美がある」と社会に伝えること。

当時の日本では、工業化が進み、大量生産された安価な製品が市場を占め始めていたました。


それに対して、柳たちはこう主張しました。

「効率や流行よりも、人の手と心が込められた“ものづくり”を守りたい。」

この考え方は、まさに現代の“サステナブル”や“クラフト文化”に通じています。
リーチもこの運動に深く共感し、彼の陶器づくりがその象徴になっていきました。

「生活と芸術の一致」という理想

リーチが口ぐせのように言っていたのが、生活と芸術の一致
これは

「アートは特別な人のものじゃない。暮らしそのものが芸術なんだ」という意味。

リーチにとって、陶芸は“使う人と作る人がつながる”ための手段だでした。
柳が「用の美」と言葉にしたものを、リーチは“形”として実現していたんじゃないかなって思います。

たとえば、リーチの器は完璧じゃない。
線が少しゆがんでいたり、釉薬(ゆうやく)がムラになっていたりする。
でも、それこそが彼の哲学なんです。

「完璧じゃないからこそ、人の温かさを感じられる。」

まるで、人間関係みたい。


完璧な人なんていないけど、不完全だからこそ心が動く。
リーチは“器の不完全さ”の中に“人間らしさ”を見ていたんじゃないかな。

西洋と東洋の橋渡し

リーチは、東洋の美と西洋の技術をつなぐ“架け橋”のような存在でした。
彼は日本で陶芸を学び、のちにイギリスに戻って「セント・アイヴス工房」を設立。
そこでは日本的な美意識を取り入れた器づくりを実践し、世界中の陶芸家に影響を与えたんだ。

つまり、リーチは単なる陶芸家じゃなく、文化の翻訳者っていえるんじゃないかなぁ
これはわたしの感想なんだけどね。


柳が日本の“美”を言葉で世界に伝え、リーチがその“形”を陶器で表現した。
このふたりがいたからこそ、日本の美意識は国境を越えて広がったんだって思います。

「美しいものは、正しい生き方の中から生まれる」

柳宗悦の思想の中で、とても有名な言葉がある。

「美しいものは、正しい生活の中から生まれる。」

彼にとって“ものづくり”は、技術ではなく“心のあり方”だったんです。

手を抜かず、誠実に作る。
相手を思って作る。
その積み重ねが“美しさ”になると信じていた。

リーチもまったく同じことを言っています。
「作り手の心は、必ず器に表れる」と。

だから、彼らの器には“正直さ”がある。
またその時の心の様子、悩み、目指すものへの焦り、真摯な努力、喜びが器に現れる
そんな人間らしさもある。


飾らないけど、嘘がない。
それが見る人・使う人の心を打つんではないでしょうか。

ふたりが残した“ものづくりの原点”

リーチと柳が出会って語り合ったのは、
「どう生きるか」と「どう作るか」が分かちがたいということ。

  • リーチ:手を動かし、形で語る人
  • 柳:言葉と思想で伝える人

ふたりは違う立場にいながら、同じ方向を見ていた。
その方向とは、「人の心がこもった“もの”こそ美しい」という一点だった。

彼らが見ていたのは、“過去の伝統”ではなく、“これからの暮らし”だったんです。
そして、その考えは100年たった今でも、私たちの生活の中に
しっかり息づいているんではないでしょうか。

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