民藝の輪が広がっていく
続きの物語・・・。
どうも、器大好き器のバイヤーナラです。
前回に引き続き、バーナード・リーチと柳宗悦の民藝のお話。
前回までの民藝の始まりのお話は こちら👉
リーチと柳が出会ってから、民藝の考え方は少しずつ日本中に広がっていきました。
最初はほんの小さな動きだったんだけど、だんだん仲間が増えていく。
たとえば、陶芸家の濱田庄司(はまだしょうじ)。
彼はリーチと一緒に日本の陶芸の可能性を探っていた人物で、
栃木県の**益子(ましこ)**に工房を構えたんです。
そこでは「誰でも日常で使える美しい器」を目指して制作を続けていました。
リーチ、柳、濱田。
この3人がいたからこそ、様々な意見の交流などのコミュニケーションから
民藝はただの思想じゃなく“生き方”として生まれ、根付いていったんです。
柳が言葉で理念を広め
濱田が地域で実践し
リーチが世界に伝える。
まるでトリオみたいに、それぞれの得意分野を生かして動いていたんです。
民藝館という「暮らしの美術館」
柳は1926年に東京・駒場に「日本民藝館」設立したのが。
今でも人気の美術館ですね。
でも、当時の民藝館は“美術館”というより、「暮らしの中の美を見つめるための場所」でした。
展示されているのは、無名の職人が作った皿やかご、染め物、木の椅子。
それらは決して豪華だったりきらきらしているわけじゃないけど、どれも手に取ると
昔からあったなぁって、どこかホッとするような温もりがある。
柳がいうには、
「これらの品々は、無心の中から生まれた真の美である。」
つまり、“有名なアーティストの作品だから価値がある”という発想をひっくり返した考え方。
今で言えば、「ブランド品より、長く使える良い道具を選ぶ」みたいな感覚かな。
柳はそういう“美の民主化”を目指していたって思います。
バーナード・リーチの帰国と「セント・アイヴス工房」
その頃、バーナード・リーチは日本での修行を終え、
1920年に故郷イギリスへ帰国したんです。
彼が向かったのは、イギリス南西部の小さな港町「セント・アイヴス(St Ives)」。
そこで彼は、自分の理想を形にした「リーチ・ポタリー(Leach Pottery)」を設立。
この工房は、イギリスにおける“スタジオ・ポタリー(手仕事陶芸)”の始まりとなった。
リーチの工房には、世界中から弟子たちが集まり、
“暮らしに寄り添う器”を学びました。
もちろん、柳や濱田の思想もそこに息づいていたんじゃないかなと思います。
つまり、セント・アイヴス工房は、日本と西洋の美意識が融合した場所でした。
今で言うなら、「文化のハイブリッド工房」。
民藝が伝えた「手仕事の尊さ」
リーチと柳が共に語ったのは、「手仕事は人間の尊厳そのもの」ということ。
柳はこう書いています。
「機械は多くを生むが、心を生まない。」
これはまさに、彼らの思想の核心。
大量生産の時代にあって、彼らは“人の手”にこだわり続けました。
なぜなら、手で作ることでしか生まれない“心のかたち”があるから。
リーチもこう語っています。
「作り手の誠実さは、器の中に宿る。」
つまり、誰が見ていなくても、どんな小さな仕事でも、
手を抜かず、まっすぐに向き合うこと。
それが“美しいものづくり”の原点なんです。
これは、わたしがお付き合いする窯元の職人さんも同じです。
実直でごまかしがなく、良いものを通るためには妥協はしない。
この程度なら良いんじゃないっていう、ある意味いい加減さを持ち合わせていないんです。
ここまではやる、これ以上もやる。
え?これも検査で弾いちゃうの?
って、器を選別しています。
これくらいなら全然いいんじゃないっていう私の醜い下心「えーい、売っちゃえ~ 」
が通用しません。
もちろん私も、二級品を一級品なんて売りませんよ!
でも見分けがつかないくらい細かい傷やかけは出さないんです。
そんな考え方、今の私たちにもグッときますよね。
デジタルが発達した今だからこそ、あえて“手で作る”意味が見直されてる。
ハンドメイドやクラフトブームも、根っこにはこの民藝の思想があるんです。
「用の美」は心のあり方でもある
柳の「用の美」って、単に“デザインの話”じゃないんですよ。
それは人の生き方にまで関わる考え方。
たとえば、毎日同じ茶碗でごはんを食べる。
その茶碗が少し欠けたとしても、直して使い続ける。
そこには「ものを大事にする心」がある。
柳は、それこそが“美”だと考えたんです。
つまり、「美しい器」っていうのは、見た目だけじゃなく、
そこに宿る思いや暮らし方まで含めての美なんだよね。
だから柳は、貧しい農家の使う器や、名もなき職人のかごを見ても感動した。
「この人たちは、無心に作っている。その“無心”こそが美しい」と。
これって、現代で言えば「ていねいな暮らし」とか「サステナブルな生き方」に通じてる。
柳は100年前に、すでに“持続可能な美”を見抜いていたんですね。
西洋と東洋、思想の交差点
バーナード・リーチがすごいのは、
東洋の「精神性」と西洋の「理性」を、自分の中で融合させたこと。
彼はイギリス人だけど、心の中には日本の禅やわび・さびが生きてました。
一方で、柳は日本人だけど、リーチの影響で西洋的な合理性や構築的な美意識を
取り入れました。
だから、このふたりの関係ってすごく面白い。
まるで「鏡合わせ」のように、お互いの文化を映し合っていました。
リーチは「東洋から学び」、柳は「西洋から考え」、
その交わるところに新しい“ものづくり”の哲学が生まれたんですね。
彼らはお互いを“師であり友”として尊敬し合い、
亡くなるまで深い絆で結ばれていたんです。
ロマンですね~💕
民藝の継承と、現代の作家たち
時代が変わっても、民藝の思想は途絶えませんでした。
柳やリーチ、濱田の影響を受けた人たちは、
今も各地で“手仕事の美”を守り続けています。
たとえば、益子焼、笠間焼、小鹿田焼(おんたやき)、琉球の壺屋焼など、
どれも民藝の精神を受け継いでいる窯元。
そこでは今も、ろくろを回し、手で形を作り、自然の釉薬で焼いています。
現代の陶芸作家たちも、ただ「かわいい器」を作るんじゃなく、
「人の暮らしに寄り添う器」を目指している作家さんもたくさんいます。
それはまさに、リーチや柳が語った“用の美”の実践なんですね。
SNSで人気の若手作家たちも、民藝の影響を受けていることを公言しています。
「完璧じゃない器のほうが、心が落ち着く」
「ちょっと歪んだ形に、作り手の息づかいを感じる」
──こうした感覚って、まさに民藝そのものですよね。
「ものづくり」は“人づくり”
柳宗悦は、晩年こんな言葉を残しています。
「真に美しいものは、真に美しい人によって作られる。」
つまり、美しいものづくりは、美しい生き方から生まれるということ。
どんなに技術があっても、心が濁っていたら、本当の美は生まれない。
リーチも同じように言っていました。
「技は心を磨くためにある。」
これは職人だけじゃなく、今を生きる私たちにも通じる言葉だですよね。
どんな仕事でも、誠実に、丁寧に向き合う。
それが“美しい【生き方】なんですね。
だから民藝は、単なる「工芸運動」じゃない。
人の生き方そのものを問う、人生の哲学だったんだ。
現代に生きるリーチと柳のメッセージ
100年たった今でも、リーチと柳の言葉は全然古びてません。
むしろ、AIやデジタル技術が進んだ今だからこそ、
「人の手で作る意味」を改めて考えさせられます。
たとえば、SNSでは“映える器”が人気だけど、
リーチや柳ならきっとこう言うだろう。
「見た目よりも、そこにある誠実さを見なさい。」
華やかじゃなくても、毎日そっと寄り添ってくれる器。
それが、彼らの言う“美しいもの”なんだと思う。
そしてもうひとつ。
柳宗悦はこんな言葉を残している。
「美とは、人を幸福にする力である。」
つまり、美しいものを作ることも、使うことも、
結局は“人をしあわせにする”行為なんだよね。
100年前から続く「やさしい革命」
リーチと柳が始めた民藝は、いわば静かな革命だった。
彼らは大きな声で叫んだわけじゃない。
ただ、日々の暮らしの中で、美しいものを作り、使い、伝えました。
その結果、100年後の今も、私たちはその恩恵を受けています。
手仕事の器を手に取ったとき、
どこか懐かしく、温かい気持ちになるのは、
きっと彼らが守り抜いた“ものづくりの魂”が、今も息づいているから。
リーチと柳が教えてくれたのは、
「美は、誰の中にもある」ということ。
それは作る人だけじゃなく、使う私たちも含めての話。
だから、今日の食卓でお気に入りの器を使うこと。
それ自体が、もう“民藝の実践”なんです。
🌸おわりに
リーチと柳の物語は、100年前の話なのに、
読めば読むほど“いま”に通じてる。
効率よりも、心を。
便利さよりも、温かさを。
そんな時代だからこそ、
彼らのように“手と心で作る生き方”を、
少しずつでも取り戻していけたらいいなと思います。


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